本質的問題とはなにか・・ 昨年来の豪雪被害、耐震偽装問題が連日のように報じられる中、時代の寵児の如くもてはやされたホリエモンのライブドアに対する強制捜査のニュースが飛び込んできた。同じ日、十七年前に起こった連続少女誘拐事件の宮崎勤被告に対する最高裁判決が下された。この日、またテレビでは耐震偽装問題の主役と目されるマンション販売会社社長の証人喚問が延々と続いていた。
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豪雪の東北北陸地方。雪に閉ざされた暗い家の中で暮らす老夫婦の映像を見て心痛めながらも、昔はこれに近いくらいの雪は毎年降っていたのではないかと、ふと思った。ましてや道路も今ほど整備されていない時に、大したニュースにもならなかったのは何故だろう?雪国の厳しさも知らずに・・との誹りを覚悟で言うと、被害を大きくしているのは案外何十年に一度の雪ではなく人間の生活そのものではないかと思うのである。昔は恐らく一家に若夫婦や子供達が同居していて雪下ろしも随時出来ていたのだろう。あるいは隣近所が協力しながら、村を、お年寄りを守っていたのではないか。たとえ灯油が切れても薪の備えはあったろう。食料の備蓄の知恵も生きていたに違いない。誰もが好んで村を出たとは思わない。生活の為やむを得ず出た人も多かろう。ただ問題は、村をどんどん棄てなければならない社会の仕組みを放置し、キラキラした都会にのみ吸い寄せる価値観を無節操に広げてきたことである。
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宮崎事件だが、これも又昔を振り返りたい。十七年前、小学児童を誘拐し、まるで使い飽きたオモチャを捨てるように簡単に殺害するという事件は、正に特異な事件として世の中に衝撃を与えた。しかし昨年来頻発している子供への誘拐や殺人事件は、もはや特異ではなく、何時でも起こりうる事件になった。開かれるべき学校は閉ざされ、P.T.A.や地域による監視が強化され、学校への送り迎えを売りにする私学まで登場してきた。あの当時、マスコミは大いに騒ぎ立て、何人もの評論家や教育者が様々に評論を加えたが、こんな社会にしない為の取組は誰がどう具体的にしてきたのだろう。教育の最も大切なところ、人の生き方を本当に真剣に教えてきたのか?鑑となるべき大人がそのことを強く意識して生きてみせただろうか?
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豪雪被害と宮崎事件。一見関係ないように見える事柄も、次第に変わり果てていく何かが共通している様に思えてならないのである。益々無責任で浮ついていく政治やマスコミ。ホリエモンも耐震偽装も今の日本の姿そのものである。
六本木ヒルズに憧れるもよかろう。だが、土をひたすら耕すことも、愚直に誠意を貫くこともまた立派な価値であり、生き方である。古いの固いの何と言われようと、今年もまた、教育の原点から出発しなくてはならぬようである。
(平成18年2月)
古川 忠
福岡の名が地震で全国に知られるようになるなんて誰が想像したでしょうか。3月20日昼前に突然起こった大きな地震。ショックからようやく立ち直りかけた4月20日早朝、丁度一ヶ月後に震度5強もの余震がありました。
亡くなった方、又、玄海島民をはじめ、被害を被った方々に心からお見舞い申し上げます。 災害の少ない街・福岡が自慢だった筈ですが、改めて日本は地震列島であることを思い知らされた次第です。 私は最初の発生時、ホテルの会合に向かう車の中。突然車が大きく横揺れしたのでパンクでもしたのかと思った程度だったのですが、ホテルの会場に着くと皆大騒ぎ。地震の影響で鉄道が停まったり、天神でビルのガラスが割れ落ちてきたとかの情報が入りはじめ、事の重大さに初めて気付いた次第です。
心配になって少し早目に会場を去り、町の様子を見ながら帰宅しましたが、家に入ると、部屋中に書物や食器類が散乱している状態。天神での買い物から急ぎ帰った家族が、ビルが大揺れして生きた心地がしなかったことなど、声を震わせて恐怖を語ってくれました。
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地震に対する備えがほとんどなかった福岡ですが、その後の行政の対応は比較的スムーズに運んでいるようです。神戸や新潟地震に比べ、地上交通の被害が少なかったことや奇跡的にも火災の発生がなかったことが幸いしたと思います。しかしながら玄海沖約10キロの近さに活断層があることが全く分かっていなかったことも含め、福岡では地震への備えがほとんどなかったことが大きな反省点です。
今回は特に玄海島で集落全体が、その地形もあって壊滅的打撃を受けましたが、島民の皆さんの結束が強いことでどんなにか救われているか知れません。復興に向けての様々な交渉事一つをとっても地域のまとまりやリーダーの存在が、いかに重要かがわかります。多くの島民が魚業を営んでいるという共通点もありますが、普段からの隣近所の付き合いや、地域を大切にしていくことの大切さを改めて見直す必要がありそうです。
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一方、都市部、特にマンション住民の方達は、被害にどう対処していいか、途方に暮れている方も多いと聞いています。災害復旧の為の法制度の不備もありますが、ヒビの入ったマンションを出て行くにも行けない方も多いのではないでしょうか。普段の近所付き合いや、地域とのかかわりが全くなかったことが不安をさらに募らせ、解決を遅らせています。助けを求める人もなく、行政との交渉もやれないといった状況を生んでいます。自然災害の時こそ、正に個人の力ではどうしようもありません。県や市が普段から十分な対策を講じておくことは当然ですが、それぞれの町内や、地域で、十分に備えをしておくことが先ず一番です。お互いに顔を知っているだけでも、被害の把握や救助にどれだけ役に立つことか。失いがちな地域の絆を見直すキッカケになったような気がします。
(平成17年4月)
古川 忠
イラクで、遂に日本人の青年が惨殺された。政府の避難勧告や周囲の忠告を無視しての無謀なバグダッド入りであった。平和ボケといわれる日本の、いかにも気ままで甘い今の若者の行動である。「自分の責任だからしからないじゃないか。」という冷ややかな見方から、「バカな奴だ、迷惑だ!」という厳しい声も多かった。確かに批判はその通りなのだが、それでも私は、この青年を心から悼みこそすれ、非難する気にはなれなかった。
実は私も30年前、約二ヶ月間、リュックと水筒をからってインド、ネパールを旅した。当時、世界がアメリカ、ソ連に二極化している中で、第三の勢力と期待されたインドをどうしても自分の目で見たいと思ったからであった。スシ詰めの三等列車の中で。ドアも壊れたオンボロバスで。時にはただ歩いて。又、象の背中に二時間余りも揺られての不思議な行程もあった。田舎町を歩く時は、初めて日本人を見たのか、何十人というインド人がゾロゾロと私の後をついてきたこともあった。
インド北端の町から夜間、石油を積んでネパールに向かうタンクローリーに乗ってカトマンズに入った。海抜四千メートルの峠の夜明け。氷の壁のように連なる巨大なヒマラヤ山脈の神々しさに圧倒された。出会う人も場所も全て初めて。いつも危険と隣りあわせではあったが、「旅は男のロマンの知的表現である。」なんて一人で悦に入っていた。若かった。しかし青年の頃の旅の感動は何にも代え難い。
◇ ◇
一人でイラク入りしたこの青年も、ロマンを追い求める好奇心旺盛な若者だったと思う。いやそれ以上に、イラクを見てみたいという動機は単に観光だけではなかった筈だ。フセインの独裁から戦争を経て、いまだに続く混乱の現状を。又、何よりそこに生活している人々の生活を、自分の目で見たかったのではないか。だからといって、今すぐには何も出来ないにしても、青年独得の正義感や優しさが、バクダッド入りに駆り立てたのだと、わたしは信じる。
もしものときの家族への心配や、世間への迷惑を考えない行動ではある。また、今のイラク情勢は特別危険でもある。結果として命を落としても自己の責任であることも十分承知している。しかし、私は彼の死を惜しむ。イラク情勢をニュースで見るどころか、そのことすら関心も無く、遊びに興じている若者が多い中、銃を持ったテロリストの前で彼自身が訴えたように、是非とも日本に帰ってきてほしかった。そしてイラクのことも含め、旅の経験を周囲の若者に語ってほしかった。
それにしても昔に比べると、世界のどこもが若者が歩きにくい危険なところになっているように思えてならない。日本国内でも危険や不安は年々増し、何かしらせちがらい世の中に向かっている気がするが、どうも日本だけでもないらしい。世界中に、経済市場主義が広がり、人類全体が”貧しく”なっているのではないか。イラクへのアメリカの強引とも思える戦争と占領政策も、世界へ暗い影を落としているように思えてならないのだ。
(平成16年11月)
古川 忠
-年金ドミノ現象を憂う-
年金改正法案の審議過程で次々に発覚した国会議員の年金不払い未加入問題には、大きく二つの問題点があります。ひとつは、老後や一家の生活設計の主要な糧となる年金について、国民は不安や、またある種の期待など、切実な思いでそのあり様に注目していました。しかし、国会議員にとっては、年金はまったく切実な問題ではなかったのです。
もっと言えば議員年金で十分暮らせるから、あるいはたくさんの資金があるから、そんなものには関心すらなかったというところでしょう。その国民と国会議員の意識の大きな乖離をはしなくも露呈してしまいました。国民にとって痛みを強いる法案であればなおさら、それを審議する人達に、その思いや痛みを共有してもらいたいと思うのは国民の当然の気持ちです。それを踏みにじった罪は大きいと思います。魂のこもっていない生活関連の重要法案が、しかも与野党の駆け引きの道具とされ国会を通過しようとしているのです。
又、この問題は年金ドミノ現象に隠れて年金の本質的な議論がなされていないことです。保険料の徴収しくみや将来の消費税(目的税)等に関する議論。また、グリーンピア事業に見られるような、「年金基金」の事業の失敗と責任。そのあり方の見直し等総てが先送りにされています。
もっとまじめに議論しろ、そして将来の姿を明確にしてくれ、というのが国民の素直な気持ちと思います。与野党問わずゾロゾロでてくる年金疑惑、また、政党間の駆け引きに嫌気をさした国民の政治離れがさらに進むことを心配しています。こんな時だからこそ参院選には是非参加をしてください。
(平成16年7月)
古川 忠
今、お茶の間政治評論家にとって、最も関心の高い、辻元問題は、敢えてもう少し推移を見てから論じたい。政策秘書給与のゴマかしは、週刊誌の報道の時点で、これはクロだと直感した。その事は勿論重大な国民への背信行為だが、その後の政治家としての言動や身の処し方も、又問題と思うので、もう少し様子を見たいと思うからだ。
それよりも国家にとって重要なのは、我々同朋の北朝鮮への拉致問題である。もう二十年近くも前になるが、私が毎日新聞の記者時代に「第十八富士山丸事件」というのが発生した。北朝鮮から一人の男が日本に亡命。これを政府が受け入れたことの報復として、たまたま北朝鮮に入港した貨物船「第十八富士山丸」の船長らが、スパイ容疑をデッチあげられて逮捕、情報を遮断されたまま、七年間もの拘留生活をさせられた事件である。
第一報の新聞の扱いは、「一段記事」、いわゆる「ベタ」という小さなものだったが、船長がたまたま福岡市早良区の人だったこともあり、記憶している方も多いのではないかと思う。 ただ、その記事が出た時、同僚の記者に、「この記事の扱いは余りにも小さ過ぎる」「もっと大きく扱い、北朝鮮の理不尽な行為に強く抗議すべきだ」などと、話したことを、今、又、無念な気持ちで思い起こしている。
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当時、いや、今もあまり変わらないが、日本は朝鮮半島に対し、卑屈なまでのコンプレックスを抱き、過度な遠慮が働いていた。政党では、当時の社会党のみが、北朝鮮との交流を持っていたが、その付き合い方は「北朝鮮は社会主義の立派な国だ」というものであったから、何をかいわんや。少し言葉は悪いが、「強盗と仲がいいのを自慢する政党とは一体何なのか」と、私は批判した。
そのころの日本の風潮はというと「国益」という言葉が、マスコミや大衆、とりわけ進歩的知識人から白眼視され、国籍のないコスモポリタンが大流行。いや、国政を預かる政治家までもが、日本よりも他国の国益を優先させる発言を堂々としゃべって憚らなかったのである。 拉致事件は、あるいはこの「第十八富士山丸事件」以前にもあったかも知れないが、少なくとも、この時にもう少し、政府がキチンとした態度を示していたら。日本が、自国の民への人権侵害にもっと敏感に毅然と対応できていたら。それ以降、日本人が、日本から連れ去られ、或いは有本さんの様に、海外から巧みに北朝鮮へ誘拐されるのは幾らかでも防がれたのではないか。悔やまれるのである。
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このところ、北方領土に対する鈴木宗男発言で、民主、社民、共産党までもが、俄かに「国益」などと叫んでいるが、いわゆる旧社会党系の人々に、今更そんな言葉を言える資格があるのか。国益とまで大上段に振りかぶらずとも、少なくとも日本人、又、日本の文化、歴史、伝統を踏みにじられて、それを良しとしてきた、政党や進歩的知識人の罪悪は計り知れぬ程大きい。
結果、今、横田めぐみさんの御両親をはじめ、多くの我が同朋が苦しみ、あるいは見殺しにあっているではないか。もっといえば、日本人の心までもむしばんでしまったのではないか、と私は思っている。有本さんの拉致をめぐって再び起こった論議を通じ、「国益」の本当の意味を、日本人として考えてみる絶好で、最後のチャンスとして欲しいものである。
(平成15年3月)
古川 忠
夢よりも志を 「夢」という言葉を学校は好んで使う。「夢を持とう」「夢を大切に」・・。ほんわかとして、言ってる方も聞いてる方も何となくいい気分になる。だが夢と言ったって、金儲けをする夢から宇宙旅行をする夢。人間が鳥のように空を飛ぶといった絶対に有り得ない夢だってある。そんな夢を見ること自体は微笑ましくて否定などしない。が、何にも(努力や行動を)しないで夢だけ見て、叶えられないからと暴れたり自傷する子供達、いや大人も何と多いことか。だから夢の氾濫に対し「夢は寝てたって見られる。それより夢を実現させる方法こそ教えなくては」と、多少皮肉混じりに言いたくなるのだ。そして、少なくとも中・高校生ぐらいになったら、夢よりも志を語ってもらいたいと、私は思う。
「偉人の日」への思い 「夢破れて・・」「志半ばにして・・」などの使い方もあって、言葉の上では夢と志の違いはあいまいだが、夢はただ有りたい結果だけを差すのに比べ、志はそこまでの気構えや覚悟なども含めた言葉のようである。かって私の通った中学校には「偉人の日」という行事があった。その日は生徒達が、図書館の偉人伝などで見つけた人物についての弁論大会が行われた。私もだったが、友人達はたとえ書物の中であれ、その偉人に初めて触れた感動と憧憬の気持ちを必死に語り続けた。しかし、正直言って、自分がナポレオンや野口英世のようになれるとは思ってはいなかったようである。
その様な英雄、偉人になれるかどうかは分からないが、ただその人物が行った努力や忍耐、勇気、人間愛や真心だけは何とか真似てみようと思ったものである。志というのは、この様な心の動きに近いのではないか。「偉人の日」に何か教育上の差し障りでもあったのだろうか。いつの間にかこの行事はなくなった。今思えば恐らく「戦後の平等教育に合わない」という教師の声が大きくなって止めさせられたのであろう。
志というのは人としての凄さ、その生き方に接した感動から自然に生まれるものではないか。そんな大切な教育を否定して、卒業式に「私は将来大金持ちになりたいデース」なんて、馬鹿な夢を語らせるのに一体何の意味があるのだろう。
教育に感動を 教育再生運動を起こそうと、昨年同志を募り、NPO法人「教育オンブズマン福岡」を設立した。その際、様々な議論の末決めた活動のキーワードは「教育に感動を」であった。そのヒントは、次に紹介する或る中学生のエピソードである。
三年前、福岡市西区の中学校の運動会で、生徒が初めて六段ピラミッドに挑戦した。厳しい練習やケガを乗り越え、心配する父母や先生さえ黙ってしまう熱意と団結で、その日見事に六段ピラは成功した。やり遂げた感動にむせぶ生徒、涙ぐむ父母や先生達。その感動や生徒達が初めて体験した奥深いものだったに違いない。誰か一人が潰れても立たないピラミッド。努力、忍耐、友情や献身を経ての感動は、彼らにある種の健全な感性を宿した筈である。そして書物に触れる時、あるいは素晴らしい人物に出会った時、感動を覚え、憧憬を抱き、志の芽を育てるに違いない。
幸い日本には、心を揺るがす先人達の歴史が山ほどある。そして、志は人の心から心へと受け継ぐことが出来る。「志が高い」と言う時、大金持ちになることを想像する人はまずいない。志には、正々堂々、勇気、廉潔、献身等々、若者こそが感じる筈の高い香りがあるのである。 「県民と教育」にも掲載
(平成15年1月)
古川 忠
長崎県の諫早湾干拓事業の中止か継続かで福岡、長崎などの三県漁業の対立が続く中、四月末から約一ヶ月間、排水門を開放しての調査が行われた。有明ノリの昨年の不漁で、干拓がその原因に上げられた為に行われた調査だが、今年のノリは大豊漁。わずか一ヶ月の開門調査で、有明海全体の水質や資源への影響が分かる筈もなく、又々、問題先送りと、お互いの“顔立て”のムダなことを繰り返しただけだったのではなかろうか。
そもそも、この干拓事業は、三十年以上も前から計画されたものだ。私は丁度そのころ、毎日新聞・長崎支局の諫早担当として、この問題に関わっていた。 当時は、長崎南部総合開発計画と呼び、規模は、この諫早湾干拓の数倍もあった。平地の乏しい長崎県にあって、農地と飲料水(淡水)を確保するというものだったが、規模が大き過ぎて有明海の環境に対する影響が心配され、規模を大幅に縮小して生き残った事業である。 周辺の漁業権さえ買い取れば、環境調査等が少々ズサンでも工事着工できるとした農水省の態度に反発した。漁業者以外でも魚釣りや貝掘りを楽しむ「入り会い権」。毎日海を見て心を和ませる「眺望権」は、どうするのか、など様々なことを考えさせられた事業であった。
現在福岡で博多湾埋立をめぐる干潟保存運動がまだ続いているが、そのモデルケースでもあった。 環境保護運動の先駆者的存在であった山下弘文氏=故人=とも、様々な議論をしたのを思い出す。 漁業権交渉が長引いたこともあるが、お役所のノロノロ仕事の典型で、事業が十年、二十年とずれ込むうちに、農業や経済情勢が急速に変化し、この事業の目的そのものが問われたのだ。しかし、農水省は、これを、いつの間にか洪水から守る治水事業にスリ換え、とにかく事業を進めてしまった。
良くても悪くても着手したものは無理矢理押し通す役所仕事の典型である。 あの埋立工事のギロチンで閉ざされた土地をこれからどう生かそうというのか全く展望もない。豊かな干潟を単なる荒野にしてしまったことと、三千億円余の税金がドブに棄てられるだけの話である。しかも残ったのは、漁民同士のいがみ合い。血税を使って面子を保った農水省の官僚と、工事を通じて幾ばくかの利益をかすめとった“者”だけが、ほくそ笑んでいるのか も知れない。
水門開放調査が始まった直後、久し振りに諫早湾に出向いた。「こんな調査で何が分かるのか、有明海はもう死にかけとう」。案内をしてくれた若い漁師のつぶやきだ。 外務省、農水省など、次々に起こる不祥事や無責任体制。また、これらについての、官僚や政治家達の発言を聴いて、この人達の発言は、すべて「自分の為」であって、国や社会の為ではない、と国民皆が悟ったのではないか。日本は今、根腐れを起こし始めている。
(平成14年8月)
古川 忠
秘書給与のゴマカシ疑惑、議員本人や秘書の収賄容疑等で、四人もの国会議員が辞職に追い込まれ、二人が所属政党を除名された。こんな異常な国会は未だ記憶にない。これらは以前からあった構造的問題なのだが、会期が終わってみれば、これで国会が、はた又、国会議員の意識がどう変わったのだろうか… とりわけ、与党、野党で最も国民の人気が高く、ある意味、一番華々しく活躍していた田中真紀子さんと辻元清美さんの辞職は、たくさんの国民が失望し、残念にも思ったことだろう。それに比べ、他の国会議員の多くは、内心ホッとしたり、むしろ喜んでいるのではないかと想像ができる。二人が国会でそこまで嫌われたのは単なるヤッカミからではない。二人のやり方は稚拙だったり、ピンチでの経験不足から身の処し方が未熟だったりはしたが、この二人の女性議員のある種“勇気”が、他の議員、とりわけ男性議員には、恐怖すら感じられたのではないかと、私は敢えて穿ってみたくなるのである。
◇ ◇
現に最大派閥の実力者をバックに官僚らを恫喝し、同僚議員には“小遣い”を配って権勢を広げていった鈴木宗男氏の不正と非常識を暴き出し、追い詰めたのはこの二人ではなかったか。鈴木氏の証人喚問の後、まるで凱旋将軍を迎え入れるように拍手していた或る派閥の風景。鈴木氏とガッチリ、握手してい た我が党行政改革本部長の大きな後姿は、テレビを通じて国民の目に異様に映った筈である。 私が、ここで言いたいのは、改革には、それがたとえ蛮勇であっても、並々ならぬ勇気がいるということである。
◇ ◇
今の政治に最も欠けているのはこの勇気ではあるまいかと、これまでの県議会の経験を通じても、国会を見ていてもずっと思ってきた。 改革の絵を書くことがうまい議員はいる。改革を唱えるだけの議員はもっとたくさんいる。しかし、改革を自ら行う議員は、わずかである。改革には痛みを伴う。特に、旧態依然とした政治の世界では、外に向けた、前向きな痛みの前に、身内の抵抗に悩まされることが多い。 その中を、いかに、うまく風当たり少なく泳ぎきるか。そして、ポストにありつき、何らかの旨味を頂戴する。どこの社会にもあると言っては失礼と思う。この厳しい時代にもかかわらず、永田町や霞ヶ関は、未だにその様な社会なのであろう。 小泉改革の迷走ぶりも、この社会ならば仕方ないか、と言うわけには参らぬ。小泉総理にだけは、改革の勇気を失ってもらっては困る。政治に大儀は欠かせぬ。改革の大儀の為に、一人でも多く、身を捨てる覚悟の政治家を国民は望んでいる筈である。
(平成14年5月)
古川 忠
日本で行われたアフガン復興会議に、外務省が、日本のNGO団体の参加を一時拒否したことをキッカケに、国会が混乱。田中真紀子外務大臣が更迭されるという思いがけない展開に発展した。 このことで、マスコミは判官贔屓ということもあって、田中外務大臣を大いに持ち上げ、結果として、首を切った小泉総理の人気に少なからずかげりが見えてきたようだ。国会の混乱を避けるという名目の真紀子外しだが、真紀子大臣就任以来のゴタゴタ続きの中で、如何に、官僚が、特に外務省が、特権意識や仲間意識が強く、内向きの仕事ばかりをしてきたつまらない、あるいは害のある役所であるかを露呈してしまった。
◇ ◇
問題は三つある。一つは「お上に逆らうものは、許さない」とばかり、その権限をカサに、民間をイジめて全く痛みを感じない、という官僚組織。地方の小さな役所でもそうだが、役人独特の感覚である。もちろん、民間会社の社長でも、自分に逆らうものは嫌うものだが、民間の場合は、そんな愚昧な経営者がいるところは、いずれは潰れる憂き目に遭う。特に、社会の変化が激しい今日では、そんな会社は必ず時代に取り残されるのである。
ところが官庁だけは、倒産の心配もない。本当の経営者でもないから、その時々が大過なく、言い替えれば組織と仕事(質ではなく一定の量)を守られれば、それは立派な役人なのである。年齢と共にポストも給料も自動的に上がる仕組みになっている。その様な組織が今これだけ、世間の風を浴びている時に、それに気付いて、自ら改革しようという奇特な公務員は、全体の5パーセントもいないのではなかろうか。しかも今、国が 危急存亡の時に、その一番大切な役割を担うべき外務省がこの有様。改革を拒み、どっぷりとぬるま湯につかった、日本の役人制度に、国民は改めて憤りを覚えたに違いない。
◇ ◇
二番目は、その外務省に働きかけた鈴木宗男氏。いわゆる政治と官僚のもたれ合いの問題点だ。外務省は、エリート中のエリート。家柄なども加味されて選ばれた役人集団。しかも、それが、ぬるま湯に何十年とつかっていたのだから、ある意味では、世間知らずのひ弱な組織体といっていい。地方でも国でも、政治家の行政への働きかけは当然あるものだが、政治家は、議会での議決権を持っているだけ、少しだけ優位にあるといっていい。それだけに、時には、政治家のゴリ押しや、圧力が効くことがある。特に、大声を出すものに弱い役人の体質がある。政治家とケンカしてゴタゴタを起こしても、自分の得には一切ならないから、少し無茶なことでも黙って聞いていた方が無難なのである。 この弱みにつけこんだのが鈴木氏である。
他の経済官庁と違って、目先の陳情や利害にあまり縁がないから、他の国会議員が、比較的熱心にならない官庁が外務省である。だから何時の間にか、鈴木氏の言いなりの構図が生まれる。もっともODA(海外資金援助)は、その使途や経路が不透明で、結構、「うま味」があったとも推量される。とにかく、役人の事なかれ主義が、政治家を増長させ、公平であるべき行政がネジ曲げられる例は、国、地方を問わず、枚挙にいとまない。その構造の改革も又、急がねばならないのである。
◇ ◇
三番目の問題は、政権内の権力闘争で、結局は、最大派閥の橋本派やそれに組している堀内派などの、いわゆる改革抵抗勢力に、小泉総理が屈したという構図である。自民党国会議員が、国会の首班指名で、全員一致で選んだ筈なのに、小泉改革の足を引っぱり続け、今や公然と抵抗を始めている。本当に小泉総理を支えている自民党議員は、ほんのひと握りなのが現状である。自民党の改革本部などは、名前こそは「改革」だが、改 革をさせない、あるいは、自分達に都合のいい改革のみを行う、圧力団体と言う人さえいる程だ。
小泉総理も、その様な抵抗の嵐の中で、妥協を繰り返しつつも、前進をしているのだが、今回の真紀子外相更迭は、いかにもタイミングが悪過ぎた。真紀子外相の資質はともかくも、前の二つの問題点をそのままに 、鈴木氏と外務省幹部と外相を同列に扱ったことは、国民が納得しないだろう。NGO問題をキッカケに国民に見え過ぎているだけに、国会運営上という、内輪の論理では通用しない。 小泉総理が本来嫌っていた、内輪の論理で、押し通さざるを得ない程、足元の抵抗勢力の勢いが凄まじいということかも知れない。悲しいかな、これが、今の国政の現状である。
(平成14年3月)
古川 忠
アメリカ同時多発テロによるアフガン戦争、パレスチナ紛争の再燃、東シナ海の不審船撃沈など、きな臭い事件の余韻の中で、2002年が明けました。国内では出口の見えない深刻な不況。なかなか進まない改革など、正に難問山積みといったところです。 小泉総理の改革への強い意思は、そのパフォーマンスを通じ、伝わってはくるのですが、今のところは抵抗勢力との駆け引きばかりが表に出て、肝腎な改革の行きつく先、その姿が見えてきません。今はまさに与野党(特に自民党)が力を合わせて 、改革を一日も早く進める時なのですが、日本の政治はいつもそうはならないのは何故でしょうか。
◇ ◇
「対テロ戦争」という目的であっという間に国民が一つになったアメリカは特別としても、イギリスが経済危機を乗り越えた時も、お隣の韓国がIMF管理化の経済的大ピンチを抜け出した時も、政治がきちんとその方向を示し、国民は一つになりました。 日本では今、国民の方が強い危機感を持って「改革を急げ」と言っているのに、政治の方が旧体制から抜け切れず、モタモタ、もしくは足を引っ張っているようにさえ見うけられます。 政治家は一体誰の為に、何の為に政治をやっているのか、もう一度問い直す必要があるのではないでしょうか。自分の所属する団体の利益、それにからむ利権。あるいは永田町内の権力闘争。ポストを得る為に強い派閥に擦り寄る姿。政権のある方へコロコロと態度を豹変する浅ましさ。こんなことをいつまでも続けていたら、日本は正に沈没です。
◇ ◇
政治という職を選んだ以上、どんな時でも、判断の基準は「国家国民の為」というのを貫くべきではないでしょうか。その点にさえ自信があれば、改革の手法を巡っては、小泉改革といえども、正々堂々と論陣を張り、国民の前ですみやかに方向示すべきです。表向き改革 といいながら裏で抵抗している議員が大多数を占めている現状。改革の遅れや先送りが、金融不安や、IT改革等で遅れを取ってしまった現実をしっかりと反省しなくてはなりなせん。 世界の中で、先進国はもちろんですが、ASEANのアジア諸国でさえも、素早い改革、変化を遂げようとしています。日本は彼等にもう追いつかれ、追い越されそうになっていることに、政治家こそ、もっと危機感を持つべきではないでしょうか。 末尾になりましたが、皆様には御健康にて良い年になりますことをお祈り申し上げます。
(平成14年1月)
古川 忠