「我が辞書に不可能はない」と、周辺国を次ぎ次ぎに撃破し
ていったフランスの”英雄”ナポレオン。欧州連合軍がやっと
彼に勝利し、エルバ島に追いやった後の1814年9月、戦後
処理と新たな国際秩序を話し合う為に、ウィーン会議が始まっ
た。参加したのはオーストリア帝国、イギリス連合王国、ロシ
ア帝国など11ヵ国。しかし、領土拡張など互いに有利な条件
を主張。途中宴会や舞踏会も加わり、一向に話がまとまらない。
翌年2月、ナポレオンがエルバ島を脱出したとの報で、慌てて
各国が妥協し、議定書が結ばれたのは6月。会議は実に9ヵ月
も続いたことになる。以降、話し合いばかりでちっとも進まな
い会議を揶揄して使われるようになった言葉だ。
◇ ◇
新型コロナが日本でも感染の広がりを見せ始めた当時、国と
地方が互いに責任を取りたがらず、対策は後手後手に回った。
特に財政的にも独立し、地方分権の雄の筈の東京都はオリン
ピックを控えての微妙な駆け引きもあってか、国との関係はギ
クシャクしたまま。経済対策の一つGOTOトラベルも、東京
都だけは除外するという、やや子供の喧嘩みたいなことまで。
日頃、地方分権を勝ち取ると、威勢のいい各県知事も、大半が
国の指示待ちの状態。県独自に緊急事態宣言を出したくても、
営業停止を余儀なくされる事業者等への補償などを考えると、
やはり国のお墨付きをもらいたい。予算を分配してもらわねば、
地方の財政は持たないという、我が国では一向に進まない地方
自治の根本の問題も露呈した。国は国で、対策の決定までに、
厚労省の会議、官邸での担当大臣らの鳩首会談。与党への根回
し。そして最後は専門家会議の決定という”逃げ道”を残して
の政策決定。それでも、地方の現場にあって何とか頑張った知
事さん達に敬意を表するとしても、日本の政治でいるも言われ
るスピード感の無さは何とかならないものか。
◇ ◇
「成長と分配」を旗印に11月発足した岸田文雄新政権。独
自色出したいと「デジタル田園都市国家構想実現会議」「新
しい資本主義実現会議」など、次々に新しい会議を立ち上げた
が、既存の会議等との役割分担もハッキリせず、いつまでに何
をやるのか、どうも良く分からない。会議と言えば我が福岡県
も知事を本部長や会長、座長などとする会議が、実に53件。
その下には必ず有識者会議や審議会がぶらさがる。
「会議は踊る・・・」にならないよう祈りたい。
古川 忠