第二次安倍政権になって俄かに「保守」という言葉がメディアを賑わせるようになった。近刊の月刊誌でも特集が組まれたほどだが、保守とは一体何なのか・・・。
私の大学時代、学生運動華やかな頃。いわゆる社会、共産主義は革新=左。自由主義は保守=右。と分かれていた。しかし、ソ連や東欧共産圏の崩壊でイデオロギーは影をひそめ、同時に政党を問わず誰もが改革だ、革新だと叫び始めて、その定義はあいまいになった。近年、民主党政権の無残な失政で、改革は急に色褪せてしまったが長く 〝 改革 〟の響きに酔っていた反動からか、今度は「我こそは保守」が台頭してきた様に思う。
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「中国、韓国に侮られたくない」とヘイトスピーチを繰り返すのは単なる偏狭なナショナリズムで保守とは程遠い。集団的自衛権の閣議決定をめぐっては、容認が保守、反対が革新とマスコミはレッテルを貼りたがるが、これも否。 日本の安全保障上、憲法九条の条文に欠陥があることはほとんどが分かっているし解釈変更で日本がすぐに軍国主義に戻るなんてことは誰も思っていない。勿論九条の精神は理想として持つべきだが、隣国、とりわけ中国の軍事的な膨張にどう対峙するのか・・・。これは保守革新もなく現実的に冷静に対処するしかない。
「いつまでも昔のことを…」とのイラ立ちで、中国、韓国とナショナリズムを突き合わせるばかりに、日本は世界からの視線を見落としがちである。日本を大国と認めているからこそ、両国をはじめ世界が本当に心配しているのは未来の日本の姿である。 日本がどの様な国を目指すのかをハッキリと示し、世界に向かって真剣に説明することが今、最も大切ではなかろうか。
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さて、話を「保守」に戻す。本当の保守の精神とは?、良き物は断固守り、その為の反省と改革を怠らないことではないか。かの特集で元自民党幹事長の加藤紘一さんが、保守は強いて言えば「 地 域 だ 」との主張に私は頷ける。「地域を守ろうと中心になってあれこれ苦労している人と、そういう存在こそが重要と思って協力している人」。 こういう人こそ、真に「保守」を名乗るにふさわしい。
公正や調和を最も大切にし、自然に敬意を払い生物を愛しむ。真の保守の人達によって守られ受け継がれてきた、日本人の生き方、国の有り様を、世界に堂々と発信することが、平和主義の国、ニッポンの役目ではなかろうか。
(平成26年10月)
古川 忠