管さん(前総理)ファンの方には申し訳ない。が、政治的主張は賛同できても、どうしても好きになれない。あの大震災から七カ月余。未だ光が見えない被災者たちは、総理を辞めたあと、何故かスッキリした顔つきで四国お遍路をしている管さんを一体どんな思いで見ているのだろう。退陣表明後二カ月以上粘った総理のイスはなんだったのか。 新総理の苦しい答弁が続く国会審議をしり目に「犠牲者の供養も兼ねて」などもっともらしく言われると、失望は増すばかりだ。
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それでなくとも、この数十年間、日本の政治は様々のことを先送りにした上、誰もが責任を取らずにウヤムヤのまま過ごしてきた。配慮を欠いたつまらぬ失言でやむなく辞めさせられた官僚は何人もいたが、自ずから責任を取ってというサムライは皆無である。 沖縄の普天間移設問題を無責任に引っかき回した前々総理が恥かし気もなくテレビに出る今日。日本人の最大の美徳である恥の文化は、正にこれらリーダーによって崩されようとしている。
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家も職場も流された上、家族や友人を失い、さらに放射能汚染の恐怖にさらされながら、なお立ち上がろうとしている被災地の方たち。直接の支援を少しでも早く、十分に行う事はもちろんだが、政治が責任ある姿勢を示す事が大事ではないのか。ドジョウ内閣の野田新総理。 前二人とは心のあり様が違うように感じられるのは、かすかな救いか。言葉の重み。責任の二文字をしっかり懐にしのばせて頑張ってくれることを切に期待するのみである。
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ついでに、同日の毎日新聞に掲載された川柳二首もご紹介しておく。
「関心があるからこその無党派層」
「まだ何もしていないのに支持率アップ」
国民一人一人の目と力が試されている時かもしれない。
(平成23年10月)
古川 忠