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コラム

政権交代を新たな活力に!!

 低迷する経済と格差社会。将来へのそこはかとない不安や不満の中で、今年は遂に政治の大転機が起こりました。
これまでの官僚主導、中央集権的政治体制では、激変する今の情勢に対応できなくなった事が背景にありますが、政権交代の直接の引き金は、自民党の慢心とおごり、惰性と沈滞だったのではないでしょうか。 長期政権の中で、かたく結びついた政・官・財のもたれ合いは、何があっても結局は国民は、自分たちの意のままに従うというおごりを生みました。 漢字の読み間違いなど軽さがめだった麻生前総理。途中で投げ出した安倍、福田両元総理の言葉に、どことなく”上から目線、”を感じた方も多かったのではないでしょうか。

             ◇                   ◇

 行政は町や市から県、県から国へと行くほど現場から離れ、市民から遠ざかります。国民の生の声を反映するのに、行政だけではおのずと限界があります。 だからこそ、直接市民に接し選挙の洗礼を受ける議員にその存在価値があるのです。 代弁者として、みなさんの思いや悩みを政治に反映させるためには、官僚側ではなく、常に庶民の立場にいつづける気持ちを失ってはなりません。 「政治主導」を錦の御旗に上げた民主党政権は、国民の大きな期待を胎んで、まずは順調な船出をしました。

             ◇                   ◇

 子ども手当を五兆円もばら撒くよりは、給食費や授業料など完全無料化にした方がいいのでは、高速道は安くても一定の利用者負担が必要では - 等など、個々の政策には異論を持っていますが、新大臣のハツラツとした動きには大いに好感が持てます。
 政党や政策はともかく、政権交代で政治が身近に、真剣に感じられるようになったのではないでしょうか。
私自身も又気持ちを新たに新しい年、時代を迎えたいと思っています。
 この一年間大変お世話になりました、今後ともよろしくご指導ください。

                               (平成21年10月)

古川 忠

麻生総理、これを言ってくれたらなあ

― 若者よ、スポーツと読書を ―

 総理の突然の辞任、株の大暴落、衆議院解散風など、慌しくも不透明な世相の中で年がどんどんと押し迫っていく感じです。 地元福岡からの麻生総理の誕生で、本来何か浮き立つようなものがあっていいはずなのですがなんとなくそんな気になれないのは私だけでしょうか。

             ◇                   ◇

  麻生総理は国民的人気があるといわれていますがキャラクターが面白いからと、テレビが勝手に作り上げたもののような気がしてなりません。 秋葉原に集まる「オタク」たち。このオタク諸君をしっかりもちあげる麻生さん。 日本独特の文化だと、分けの解らない解説をのたまう、”文化人”もいるようですが、ちょっと首を傾げたくなります。  この多くは大学生など若者ですが、「若者だったらもっとハツラツとしろよ」と言いたくなるのはもう古いのでしょうか。 テレビは毎日お笑いタレントの花盛り。たまには面白く、気の利いたものもありますが、何時もいつもうすっぺらなものばかり見せられると、さすがにこれでいいのかなあと心配になります。 秋葉原族に人気の麻生さんはこんなテレビの流れにうまくはまったのではないかと、つい深読みしてしまいます。

             ◇                   ◇

 麻生総理にお願いがあります。こんど秋葉原で街頭演説をする機会があったなら、まず一番にこう言ってほしいのです。 「若者よ!こんなところに集まってないでスポーツをしろ!でなければ図書館にいって本を読め!」と。 私たち先輩が、とりわけ政治家が若者に声をかけてあげられるのは、こんな言葉ではないでしょうか。

                                (平成20年10月)

古川 忠

司馬遼太郎 「戦車の壁の中で」

『私は、濃い草色に塗られた三式戦車の鉄を削りながら、(こういうものを作らせた高級軍人たちは、いったい本気の愛国心をもっているのだろうか)と、心の冷える感じをもった。』

 少し解説をする。作家、司馬遼太郎は、第二次大戦中戦車隊に配属されていた。貧乏国日本の戦車は装備がやや貧弱とはいえ、当たり前のことだが、車体や砲頭はヤスリなどでは傷さえつかぬ、厚い鋼板で出来ていた。

 だが、いよいよ戦争の末期、最新鋭車として配備された戦車の巨大砲頭が、まるでブリキの様に、簡単にヤスリで傷つくようなシロモノであったことに愕然とする。

 本来戦車は、その強固な装甲版で防御しながら敵を攻撃するというもので、砲弾が当たったらペシャンコになるようでは、何の役にも立たず、そのまま乗員の棺桶と化すだけなのである。

 司馬さんは、元々その狭い戦車の中がキライとはいえ、いざとなれば戦車を飛び出し、三八式騎兵銃一挺を持って敵に一矢を報いて死のうという、当時としては普通の ‘‘軍人‘‘ だった。だが、やたら砲頭の大きい戦車で格好を整え、数だけ合わせて、「さあ突撃しろ」という軍中枢部に心底から疑念を抱いたのである。

             ◇                  ◇

 『おそらく彼ら個々の本心はとても勝てないと思っていたであろう。しかし、その本心をたとえ個人的に同僚に話したとしても彼は官僚として自滅するにちがいなく、極端にいえば自分の保身のほうが国家の存亡より大事だったのである』と、司馬さんは言う。

 国や国民の運命を握る官僚や政治家達の、この習性は、今に始まったものでもないらしい。それにしても昨今の官僚の仕業は目に余る。年金保険庁の数々の不祥事。霞関職員の居酒屋タクシー帰宅等々。自分の保身どころか税金にまで手を付けて、それを悪いとも思わぬ感覚。地に落ちたとはこのことか。

             ◇                  ◇

 問題の後期高齢者医療制度。通り一遍の批判は措くとして、余りにも血も涙もない制度ではないのか。どんな法律でも条例でもその精神というものがある。老人医療の維持、充実の為と言いながら、机の上で数字をなめただけの官僚たちの本音が透けて見える。

 そしてもっと無責任なのは、二年前これを通してしまった政治家達だ。おかしいなら二年前から言い続ければいい。与野党は問わない。周りが騒ぎ出して、援軍が増えたのを確かめるように問題を口にする。これは日本全体に言える事だが一人でも反対する勇気が、特に政治に無くなったことに、底知れぬ不安を感じるのは私だけだろうか。

                              (平成20年7月)

古川 忠

ほっとけない!!

 「自分の持っている大切なものを手放してお金に代えても、そのお金は価値をきちんと保全し、次に必要なものを手に入れる時に役立ってくれるでしょう」。日銀の福井俊彦総裁が、昨年7月の経済教育サミットで、こう述べたそうである。いかにも日本の金庫を預かるトップらしい考えと、普通なら見過ごしたのだろうが、これを紹介した毎日新聞夕刊の記事を読んだ日の午前、私はたまたま或る公民館の時事講座で年金の話をしたばかりだった。もうすっかり忘れかけていたのだが、福井氏が、例の村上ファンドへの出資で一儲けしたこと。なんと年間七百万円以上もの年金を手にしていることなどを想い出して、年金や医療問題を不安そうな面持ちで真剣に聴いてくれていたお年よりの顔が改めて目に浮かんだ。

             ◇                  ◇

 株や円相場までも操れる日銀総裁の、インサイダーまがいの株取引は勿論、論外のこと。多額の年金は、「経歴と能力に見合う当然の対価だ」とでもいうのであろう。たとえそうだとしても、国民みんなの老後の生活をできるだけ等しく守る年金の趣旨に照らせば、月々7、8万円の年金で暮らしている人との格差は異常である。この春から健康保険料や市民税が大幅にアップして、特に高齢者など弱者を直撃した。健康保険料を払えない世帯は全国で470万にも達するという。福岡市では保険料未納で、急遽資格証明を交付したのが18000件にも及んでいる。為政者よ、制度に従って貰っているだけだと、開き直るなかれ。この異常さに気づく感覚さえ無くしたのか。むしろこの異常を正すことこそトップリーダーの責任の一つではないのか。人の噂も七十五日、そのまま総裁の地位に在り続けている神経に元々あきれてはいたのだが、つつましやかな生活のなかで、少しでも地域の活動に参加しようと、公民館の講座に来てくれた人たちに会った直後だけに改めて怒りがこみあげてきたのである。

             ◇                  ◇

 福井氏が金のために手放した大切なものが何かは知らぬが、ここまであからさまに言われると改めて「お金が全ての世の中か」と言いたくなるではないか。努力や才覚でそれなりの富や名声を得るのを否定するつもりは毛頭ない。しかしながら、そんじょそこらの成金ならまだしも日本の経済界のトップの言と行動となると、日本の品格を貶めているのは、他でもないこれら今のリーダー達ではないだろうか、と思うのである。金の為に捨てたものは、自然であったり、心であったり、時には命であったりもする。金が全ての世の中だけは御免蒙りたい。無論、政治が金の為であってはならないのは当然のことである。

                             (平成18年12月)

古川 忠

1.25のショック

 格差社会という言葉が頻りに使われだした。政権末期の宿命か、マスコミもこのところ小泉改革の陰を何かにつけて強調するようになった。反小泉勢力の不満が頭をもたげる政治的な臭いも紛々だが、格差の広がりはそこはかとない生活の実感でもある。  思い出してみれば、私たちは一年前、格差社会の現実をテレビで嫌という程見せつけられている。アメリカ南部を襲ったハリケーン禍の惨状である。アフリカの発展途上国の映像かと見まごうあの有様は、超大国アメリカの陰を世界に露呈した。日本が今進んでいるアメリカ型の改革の行き着く先はこうなのかと一抹の不安を抱いた人も多かったのではなかろうか。

             ◇                  ◇

 景気の回復、デイトレードの株長者がもてはやされる陰で、生活保護世帯はこの五年で25万人も増えて150万世帯に。学校給食費が払えない子供たちが130万人を超えている。リストラで、非正社員の割合は三割に達し、平均月収は19万円だそうである。「活字離れで新聞も読まなくなった。嘆かわしい」との私の持論も、こうなると一時引っ込めざるをえなくなった。先輩の毎日新聞コラム氏の「月収十万から二十万の家庭が果たして新聞を定期購読するだろうか」との指摘。もっともだからである。学校の成績も二極化が進んでいるという。それが、このような所得差に比例しているとしたら文化国家を自慢していた日本にとって正に由々しき事態である。

             ◇                  ◇

 どんな時代でもたゆまぬ改革は必要である。硬直した組織、既得権を見直すことは、本来は陰に日を当て、涼風を呼び込む筈である。それが現実は違うとしたら、見直すことも必要ではないか。それになにより、改革のあと目指すべき国家像が見えないことが一層不安をかきたてる。これでは少子化も当たり前。児童手当を増やしますと、人気取りに躍起な新任の担当大臣。現金をもらって喜ばない人はいないと思ってるのだろうが、むしろ女を馬鹿にするなと、味方のはずの女性から声が飛んできそうである。親にもしものことがあっても子供は国がちゃんと守ってくれるというのが本当の少子化対策ではないのか?

 厚労省が六月一日発表した2005年の人口動態調査では、出生率1.25ポイント。
勿論過去最低である。

                               (平成18年6月)

古川 忠

「小泉劇場の功罪」

政治の軽さを天下に晒しながら、小泉劇場は終わりました。

 もちろん私は改革には大賛成です。新聞記者として、また県議会議員として、今の政治や行政の無駄や不公正をいやと言う程見てきました。戦ってもきました。又、特に既得権益にまみれた身内の抵抗勢力の、陰湿で頑強な妨害にあって、一人苦戦している総理の姿を気の毒にさえ思っていました。小泉さんが、苦し紛れに、本来改革派であるはずの民主党に、何度もエールを送っていたのを、民主党の皆さんは見逃したのか、それとも敢えて無視してしまったのでしょうか。

 今回の選挙結果は思いがけないものになりましたが、これが、長い目で見て、日本の政治にとっていいかどうかは、はなはだ疑問です。 圧倒多数となった与党勢力。強大な権力は、往往にして自らの立場や権益を守ることに走り、やがて腐敗の道へと堕ちていくからです。まして、ぽっと出の議員達にとって、先生と言われる居心地の良さにどっぷりと浸かってしまっては、改革など望むべくもありません。

 巨大な官僚組織、それを必死に守ろうとする役人たち、はたまた実力派議員達に立ち向かうには、並々ならぬ覚悟と信念がなくてはなりません。これは私自身が県議会与党会派の中で実際に見、感じてきたところだからです。権力の近くにいる者は常にその自覚と緊張をもたなくてはならないのです。この一種浮かれたような選挙で生まれた今度の国会の構成は、本当に危ういものがある気がしてなりません。与野党が拮抗した緊張感の中で、より良い改革が進むことを国民は望んでいたのではないでしょうか。その意味で、民主党の大敗は政治の改革をむしろ遅らせてしまうのではないかと危惧しているところです。

 そもそも、今回の解散は重要な問題点がありました。衆議院で可決した議案を参議院が否決したからと言って、衆議院を解散するのには無理がある、との議論は前からありましたが、そのことの本当の議論はおこなわれずじまいでした。第一の問題は、衆議院のチェック機能を果たすべき参議院の機能を失わせる。いわゆる二院制の崩壊を事実上認めたことになります。これはこれで、参議院のだらしなさとあいまって由々しきことではありますが、もう一つ、議会制民主主義の根幹を揺るがす大問題が潜んでいるのです。

 みなさんは解散のきっかけであり、選挙の最大の争点とされた郵政民営化について、その法案を読んだことがあるでしょうか?そうです。普通の国民はそれぞれの仕事に追われて、そんな暇はありませんし、専門の知識もありません。だからこそ議員を選挙で選び、専門的に慎重に議論し判断することを委ねているのです。その議員達が何度も議案を読み、百時間を超す議論を重ねた上での結論が、総理の意に沿わないからと言って、ただの一度も法案を見たことすらない国民に、郵政民営化賛成か反対かと聞くのには相当の無理と矛盾があります。

 第二の問題は、代議員制を真向から否定したことです。と同時に、政治とはかくも簡単に国民を錯覚させることが出来るものかと、恐ろしくさえ感じます。無論、国民の多くが、今の閉塞状況の中でなんらかの改革を望み、官僚達の特権や無駄使いに腹を立てていたことは同感です。しかし、郵政民営化を、もしくはその法案をどう思うかと問われても、だから其の為に私たちは議員を選んでいるのではないかとしか言いようが無い筈です。

 そこでさらに大きな問題は、国民の多くがそもそも国会議員の仕事ぶりや、その姿勢を信じてはいなかったのではないかということです。小泉総理は、国民がそれら議員を今やあまり信用していないことをすっかり見抜いていたのかもしれません。でなければ、選挙制度や代議員制度そのものを全部否定するような暴挙に国民は疑問を感じる筈です。実際、解散をした途端、あるいは選挙後に急に賛成に豹変した議員達は、自ら代議員制の意味と責任を感じているのでしょうか?

 民主主義は最後は多数決で決まりますが、少数意見こそ大事にしなければ成り立ちません。反対した議員達は、彼らを支持した人たちの代弁者として、あくまでも主張を貫くべきです。国民の声は現実の獲得議席数はともかく、45%位は反対だったのですから。選挙の結果、国民の声だからとか、勝手な言い訳をせずに、あなたを支持した人もまた大切な国民であることを忘れてもらっては、その方たちは浮かぶ瀬もありますまい。再度論陣を張り、負けたら、その時は堂々と従えばいいじゃないですか。しかし、恐らく彼らはそうはしますまい。国民は又しても、国会議員を自分たちの代弁者とは認めなくなるだけです。かくして、この様な数々の誤りが繰り返されていくうちに、日本が取り返しのつかない方向に行かなければいいのですが・・・。

                               (平成17年9月)

古川 忠

さくらの下で、

 さくらの開花予想をめぐる記事の中で、寒さが厳しかった年ほど開花が早いことを初めて知った。  この冬は寒さのピークが比較的早かった為に、季節を早く勘違いしてしまったらしい。異常気象の深刻さに驚きながらも、葉をすべて落とし、まるで枯れ枝のようにみえた桜木が、厳しい寒さにひるむことなく密かに命をたぎらせていたことに妙に感動した。予想通り、さくらは見事に咲いた。そして哀れなほどに潔く散っていく。

             ◇                   ◇

 `男児`かくありたいと思うものの、現実はなかなか難しい。だが最近は、さくらの潔さを美しいと感じない人もいるのではと、思い至った。例のホリエモン偽メール問題である。新聞社の取材現場にいたことのある立場から見ると、考えられないくらい幼稚な出来事である。報道や政治のもつ権力は想像以上に大きい。永田氏は、その責任と怖さをあまり感じたことはないようである。 名誉や特権は政治家の周りに有り余るほど在るけれども、背負わされた権力の重さの実感はなべて乏しいように思われる。

 偽メールを簡単に信じてしまったことは、おぼっちゃんの単純ミスとして百歩譲るとして、ネタ元の怪 しげなトップ屋を「私の最も信頼する友人」などと嘘をついたことに、死ぬほどの恥を感じないのだろうか。その後の申し開きも、なんとも情けない。国会は勿論のこと政治では特に重い響きを持つ同志への計り知れない迷惑を思うと、一度くらい自分が傷を負ってもと思わないのか、その心根が量りかねる。恥を忍んでという言葉もあるが、それは一片でも正義や信念が在る時に使うものである。

             ◇                   ◇

 江戸期のリーダーであった武士は、恥を最も恐れて死んだ。普通の人ならそんなことで死ななくても、と思われることでも自ら命を絶った。現代から見ると馬鹿馬鹿しいという人も多かろう。だが恥や責任の為に死ねたからこそリーダーとしておれたのである。 さくらの下で酒を飲むだけでなく、その潔さに涙したいものである。特にリーダーたらんとする者は。

                               (平成18年4月)

古川 忠

再び教育の原点から

 本質的問題とはなにか・・  昨年来の豪雪被害、耐震偽装問題が連日のように報じられる中、時代の寵児の如くもてはやされたホリエモンのライブドアに対する強制捜査のニュースが飛び込んできた。同じ日、十七年前に起こった連続少女誘拐事件の宮崎勤被告に対する最高裁判決が下された。この日、またテレビでは耐震偽装問題の主役と目されるマンション販売会社社長の証人喚問が延々と続いていた。

             ◇                  ◇

 豪雪の東北北陸地方。雪に閉ざされた暗い家の中で暮らす老夫婦の映像を見て心痛めながらも、昔はこれに近いくらいの雪は毎年降っていたのではないかと、ふと思った。ましてや道路も今ほど整備されていない時に、大したニュースにもならなかったのは何故だろう?雪国の厳しさも知らずに・・との誹りを覚悟で言うと、被害を大きくしているのは案外何十年に一度の雪ではなく人間の生活そのものではないかと思うのである。昔は恐らく一家に若夫婦や子供達が同居していて雪下ろしも随時出来ていたのだろう。あるいは隣近所が協力しながら、村を、お年寄りを守っていたのではないか。たとえ灯油が切れても薪の備えはあったろう。食料の備蓄の知恵も生きていたに違いない。誰もが好んで村を出たとは思わない。生活の為やむを得ず出た人も多かろう。ただ問題は、村をどんどん棄てなければならない社会の仕組みを放置し、キラキラした都会にのみ吸い寄せる価値観を無節操に広げてきたことである。

             ◇                  ◇

 宮崎事件だが、これも又昔を振り返りたい。十七年前、小学児童を誘拐し、まるで使い飽きたオモチャを捨てるように簡単に殺害するという事件は、正に特異な事件として世の中に衝撃を与えた。しかし昨年来頻発している子供への誘拐や殺人事件は、もはや特異ではなく、何時でも起こりうる事件になった。開かれるべき学校は閉ざされ、P.T.A.や地域による監視が強化され、学校への送り迎えを売りにする私学まで登場してきた。あの当時、マスコミは大いに騒ぎ立て、何人もの評論家や教育者が様々に評論を加えたが、こんな社会にしない為の取組は誰がどう具体的にしてきたのだろう。教育の最も大切なところ、人の生き方を本当に真剣に教えてきたのか?鑑となるべき大人がそのことを強く意識して生きてみせただろうか?

             ◇                  ◇

 豪雪被害と宮崎事件。一見関係ないように見える事柄も、次第に変わり果てていく何かが共通している様に思えてならないのである。益々無責任で浮ついていく政治やマスコミ。ホリエモンも耐震偽装も今の日本の姿そのものである。

 六本木ヒルズに憧れるもよかろう。だが、土をひたすら耕すことも、愚直に誠意を貫くこともまた立派な価値であり、生き方である。古いの固いの何と言われようと、今年もまた、教育の原点から出発しなくてはならぬようである。

                               (平成18年2月)

古川 忠

「地震で見直した地域の絆」

 福岡の名が地震で全国に知られるようになるなんて誰が想像したでしょうか。3月20日昼前に突然起こった大きな地震。ショックからようやく立ち直りかけた4月20日早朝、丁度一ヶ月後に震度5強もの余震がありました。

 亡くなった方、又、玄海島民をはじめ、被害を被った方々に心からお見舞い申し上げます。 災害の少ない街・福岡が自慢だった筈ですが、改めて日本は地震列島であることを思い知らされた次第です。 私は最初の発生時、ホテルの会合に向かう車の中。突然車が大きく横揺れしたのでパンクでもしたのかと思った程度だったのですが、ホテルの会場に着くと皆大騒ぎ。地震の影響で鉄道が停まったり、天神でビルのガラスが割れ落ちてきたとかの情報が入りはじめ、事の重大さに初めて気付いた次第です。

 心配になって少し早目に会場を去り、町の様子を見ながら帰宅しましたが、家に入ると、部屋中に書物や食器類が散乱している状態。天神での買い物から急ぎ帰った家族が、ビルが大揺れして生きた心地がしなかったことなど、声を震わせて恐怖を語ってくれました。

             ◇                  ◇

地震に対する備えがほとんどなかった福岡ですが、その後の行政の対応は比較的スムーズに運んでいるようです。神戸や新潟地震に比べ、地上交通の被害が少なかったことや奇跡的にも火災の発生がなかったことが幸いしたと思います。しかしながら玄海沖約10キロの近さに活断層があることが全く分かっていなかったことも含め、福岡では地震への備えがほとんどなかったことが大きな反省点です。

 今回は特に玄海島で集落全体が、その地形もあって壊滅的打撃を受けましたが、島民の皆さんの結束が強いことでどんなにか救われているか知れません。復興に向けての様々な交渉事一つをとっても地域のまとまりやリーダーの存在が、いかに重要かがわかります。多くの島民が魚業を営んでいるという共通点もありますが、普段からの隣近所の付き合いや、地域を大切にしていくことの大切さを改めて見直す必要がありそうです。

             ◇                  ◇

 

 一方、都市部、特にマンション住民の方達は、被害にどう対処していいか、途方に暮れている方も多いと聞いています。災害復旧の為の法制度の不備もありますが、ヒビの入ったマンションを出て行くにも行けない方も多いのではないでしょうか。普段の近所付き合いや、地域とのかかわりが全くなかったことが不安をさらに募らせ、解決を遅らせています。助けを求める人もなく、行政との交渉もやれないといった状況を生んでいます。自然災害の時こそ、正に個人の力ではどうしようもありません。県や市が普段から十分な対策を講じておくことは当然ですが、それぞれの町内や、地域で、十分に備えをしておくことが先ず一番です。お互いに顔を知っているだけでも、被害の把握や救助にどれだけ役に立つことか。失いがちな地域の絆を見直すキッカケになったような気がします。

                              (平成17年4月)

古川 忠

拉致青年の死を悼む

 イラクで、遂に日本人の青年が惨殺された。政府の避難勧告や周囲の忠告を無視しての無謀なバグダッド入りであった。平和ボケといわれる日本の、いかにも気ままで甘い今の若者の行動である。「自分の責任だからしからないじゃないか。」という冷ややかな見方から、「バカな奴だ、迷惑だ!」という厳しい声も多かった。確かに批判はその通りなのだが、それでも私は、この青年を心から悼みこそすれ、非難する気にはなれなかった。

 実は私も30年前、約二ヶ月間、リュックと水筒をからってインド、ネパールを旅した。当時、世界がアメリカ、ソ連に二極化している中で、第三の勢力と期待されたインドをどうしても自分の目で見たいと思ったからであった。スシ詰めの三等列車の中で。ドアも壊れたオンボロバスで。時にはただ歩いて。又、象の背中に二時間余りも揺られての不思議な行程もあった。田舎町を歩く時は、初めて日本人を見たのか、何十人というインド人がゾロゾロと私の後をついてきたこともあった。

 インド北端の町から夜間、石油を積んでネパールに向かうタンクローリーに乗ってカトマンズに入った。海抜四千メートルの峠の夜明け。氷の壁のように連なる巨大なヒマラヤ山脈の神々しさに圧倒された。出会う人も場所も全て初めて。いつも危険と隣りあわせではあったが、「旅は男のロマンの知的表現である。」なんて一人で悦に入っていた。若かった。しかし青年の頃の旅の感動は何にも代え難い。

             ◇                   ◇

 一人でイラク入りしたこの青年も、ロマンを追い求める好奇心旺盛な若者だったと思う。いやそれ以上に、イラクを見てみたいという動機は単に観光だけではなかった筈だ。フセインの独裁から戦争を経て、いまだに続く混乱の現状を。又、何よりそこに生活している人々の生活を、自分の目で見たかったのではないか。だからといって、今すぐには何も出来ないにしても、青年独得の正義感や優しさが、バクダッド入りに駆り立てたのだと、わたしは信じる。

 もしものときの家族への心配や、世間への迷惑を考えない行動ではある。また、今のイラク情勢は特別危険でもある。結果として命を落としても自己の責任であることも十分承知している。しかし、私は彼の死を惜しむ。イラク情勢をニュースで見るどころか、そのことすら関心も無く、遊びに興じている若者が多い中、銃を持ったテロリストの前で彼自身が訴えたように、是非とも日本に帰ってきてほしかった。そしてイラクのことも含め、旅の経験を周囲の若者に語ってほしかった。

 それにしても昔に比べると、世界のどこもが若者が歩きにくい危険なところになっているように思えてならない。日本国内でも危険や不安は年々増し、何かしらせちがらい世の中に向かっている気がするが、どうも日本だけでもないらしい。世界中に、経済市場主義が広がり、人類全体が”貧しく”なっているのではないか。イラクへのアメリカの強引とも思える戦争と占領政策も、世界へ暗い影を落としているように思えてならないのだ。

                              (平成16年11月)

古川 忠