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コラム

一人立つ富士の山

 何も偉い人の言葉ではなく、私が学生時代、自分で勝手に墨書して、部屋に貼っていた標語だ。今振り返ると、何とも青臭くて気恥づかしいのだが、思いは、何ごとにも動ぜず、自分の生き方を貫くことによって、多くの人を牽きつける裾野の広い人間になりたいと願ったものだ。勿論孤立を意味するのではない。孤高を保つことも又、雄々しい生き方では、と一人悦に入っていただけでのことである。

 ついでに私事で恐縮だが、この夏初めて、その憧れの富士山に登った。三,七七六㍍の頂に立って初心を新たにした次第である。

◆         ◆

 さてこの秋、降って湧いたような衆議院の解散総選挙が行われた。国会で議論が行き詰まった訳でもなく、消費税増税とてまだ一年半後。多くの国民は、何故今頃解散?と驚き、あきれたのではないか。安倍総理の働きを評価する方もあるだろうが、総理とその側近達の勝手な

〃ご都合解散〃と揶揄されたのも宣なる哉である。

 それでも選挙となれば、最も信頼できる候補を応援したのだが、突然の解散の狙いや動機に対する疑問は残った。結果は大山鳴動して何も変わらず。民進党の分裂と六三一億円もの選挙費用を費やしただけである。

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 政権を握る自民党議員の多くが疑問を持ちつつ、何の反応も示さずに安倍総理の一言にただつき従ったこと。希望の党発足と同時に、より当選し易い方へと右往左往した議員達。そして、強い所に群れたがる大人達の姿を朝から晩まで面白おかしく、垂れ流し続けたテレビ。これでは、十八歳まで引き下げられた若い有権者達は、何を判断して投票したらいいのか。

 焦点の人、小池東京都知事は、どの男よりも勇を奮って新党を立ち上げた。そこに縋っていって落選した後、候補者達が小池さんに恨み言をぶつけるのはただ見苦しい。彼達に投票した若い有権者も少なからずいるのだから、なお。

 小池さんの「排除」の一言で流れが変わったというのも確かにあるのかも知れぬ。「政治は言葉である」と言う。しかしそこに確固とした思想がなくては、人を動かす言葉は出て来ない。

真の言葉なき薄っぺらな政治が横行するのはどうしても気にかかる。

「何事も ありませんよと 富士はあり」。(毎日新聞コラム氏)

じっくりと腰を据えた政治を期待するのは、私だけだろうか。

古川 忠

『貧乏な人とは、少ししか持っていない人ではなくて、いくらあっても満足しない人だ』

 世界一貧しい大統領と言われた南米ウルグアイの第四代大統領、ホセ・ムヒカさん(八十歳)の言葉だ。ムヒカさんはこの四月日本を訪れ、日本の精神文化を讃えると共に、特に若者に対し「日本人は魂を失ってきたのではないか」との警告を残し帰っていった。

 

丁度同じ頃。リオ・オリンピックの男子バドミントンの金メダル最有力候補だった桃田賢斗選手(当時二十一歳)が、闇のカジノ賭博に問われ、代表選手から外された。その時の記者会見での言葉はこうだ。

「派手な生活をしたい。それにガキんちょが憧れて、バドミントンを頑張る様になると思った。」 まだ二十歳底々の若者。彼個人を責めるつもりはない。多分、今の日本の若者の多くが彼と同様に金儲けをしていかに豪華な生活を送るかが人生の価値と考えているのかも知れない。そして更に私を憂うつにしたのは これに対するマスコミだ。彼のプライバシーを暴き立てて追い討ちをかけるか、或いは同情するか二手に分かれた。「金儲けこそが子供の憧れ」ということには知識人然としたキャスターたちも全く疑問を示さなかった。

 

ムヒカさんはこうも言っている「幸せとはものを買うことだと勘違いしている」と。子供たちに憧れて欲しいのはむしろ、厳しい練習に耐え、夢や目標に向かってひたむきに生きる姿だ。スポーツは、その事をストレートに伝える力を持っている。幸いリオでは、日本の選手達が大活躍。たとえ身体にハンディを背負っていても、又必ずしも環境に恵まれなくとも諦めずに努力した姿が、多くの感動を呼んだ。そして四年後は待望の日本でのオリンピック・パラリンピック大会。大会が商業主義に走り過ぎとの懸念もある。メダルを獲った選手がそれなりの褒美を貰うのは時代の趨勢かもしれない。しかし、スポーツを通じてこそ、金儲けとは違った、人生の価値を示してほしいと思う。

「愛情や人間関係や子供や友人を持つこと。この必要最小限のものを持つことこそが最も幸せ」(ムヒカさん)なのではあるまいか。

古川 忠

戦後七十年、天皇ご夫妻のお悲しみ

  天皇陛下御製    あまたなる命の失せし崖の下

              海深くして青く澄みたり

  皇后陛下御歌    いまはとて島果ての崖踏みけりし

              をみなの足裏(あうら)思へば悲し

 アメリカ軍に追い詰められた日本の婦人が次々に断崖から身を投げたサイパン島『バンザイクリフ』を終戦六十年の六月天皇陛下御夫妻が訪れた時の御製と皇后様の御歌である。群青の海に向かい、深々と頭を下げられた両陛下の後ろ姿に胸を熱くした人が多かったのではなかろうか。

                   ◇              ◇

 そして今年は戦後七十年。両陛下は南海の孤島ペリリュー島にも慰霊の旅に出かけられた。昭和十九年九月、島には島民約九百人、日本の守備隊約一万人が駐留。米軍の上陸が迫った時、島民は巻添えを避ける為、パラオ本島に避難させられたがその折、島民の多くが「日本軍と共に戦いたい」と申し出たという。日本の『統治』が、欧米の『占領』とは全く違っていたことを窺い知るエピソードのひとつでもある。ともあれ日本軍一万人、米兵も千六百人余が戦死して島は陥落した。特攻で散った方々も含め戦争を直接経験した人は今や九十歳前後、次の十年を考えると今年は戦争と平和を考える最も重要な年だった。マスコミも前半は、貴重な証言等を扱っていたが、後半は、あの安保法案をめぐる与野党の見苦しいドタバタ劇で、冷静に厳粛に戦争を考える雰囲気は吹き飛んでしまった。

            ◇              ◇

 何もかも一緒に詰め込んだ法案が、いささか杜撰なことは国会答弁のモタモタぶりを見ても明らか。防衛大臣でさえ答弁に窮するこの法案を国会議員の何人が本当に理解しているのかも疑問である。まして民主党など野党は『戦争法案』のワンフレーズで同じ質問を長々と繰り返すのみ。

『今の国際情勢の中で、何が本当に危険なのか。国を守る為にはどうしたらいいか』の本質的な議論こそ、国民は聞きたかったのではないか。党内の異論に憚かって、敢えて本質的な問題を避けた民主党。安倍権勢を恐れて思考が停止した自民党。非武装中立か、軍備拡充かの半世紀前の議論に後戻りしただけである。

 天皇皇后両陛下のあの慟哭の後姿を想い返して欲しい。国を守るのに党派の利害などない筈である。

古川 忠

『保守』について

 第二次安倍政権になって俄かに「保守」という言葉がメディアを賑わせるようになった。近刊の月刊誌でも特集が組まれたほどだが、保守とは一体何なのか・・・。

 私の大学時代、学生運動華やかな頃。いわゆる社会、共産主義は革新=左。自由主義は保守=右。と分かれていた。しかし、ソ連や東欧共産圏の崩壊でイデオロギーは影をひそめ、同時に政党を問わず誰もが改革だ、革新だと叫び始めて、その定義はあいまいになった。近年、民主党政権の無残な失政で、改革は急に色褪せてしまったが長く 〝 改革 〟の響きに酔っていた反動からか、今度は「我こそは保守」が台頭してきた様に思う。

          ♢                ♢

「中国、韓国に侮られたくない」とヘイトスピーチを繰り返すのは単なる偏狭なナショナリズムで保守とは程遠い。集団的自衛権の閣議決定をめぐっては、容認が保守、反対が革新とマスコミはレッテルを貼りたがるが、これも否。 日本の安全保障上、憲法九条の条文に欠陥があることはほとんどが分かっているし解釈変更で日本がすぐに軍国主義に戻るなんてことは誰も思っていない。勿論九条の精神は理想として持つべきだが、隣国、とりわけ中国の軍事的な膨張にどう対峙するのか・・・。これは保守革新もなく現実的に冷静に対処するしかない。

 「いつまでも昔のことを…」とのイラ立ちで、中国、韓国とナショナリズムを突き合わせるばかりに、日本は世界からの視線を見落としがちである。日本を大国と認めているからこそ、両国をはじめ世界が本当に心配しているのは未来の日本の姿である。 日本がどの様な国を目指すのかをハッキリと示し、世界に向かって真剣に説明することが今、最も大切ではなかろうか。

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 さて、話を「保守」に戻す。本当の保守の精神とは?、良き物は断固守り、その為の反省と改革を怠らないことではないか。かの特集で元自民党幹事長の加藤紘一さんが、保守は強いて言えば「 地 域 だ 」との主張に私は頷ける。「地域を守ろうと中心になってあれこれ苦労している人と、そういう存在こそが重要と思って協力している人」。 こういう人こそ、真に「保守」を名乗るにふさわしい。

 公正や調和を最も大切にし、自然に敬意を払い生物を愛しむ。真の保守の人達によって守られ受け継がれてきた、日本人の生き方、国の有り様を、世界に堂々と発信することが、平和主義の国、ニッポンの役目ではなかろうか。

                          (平成26年10月)

古川 忠

『世界最大の悲劇は暴言や暴力ではなく善意の人の沈黙と無関心だ』マーチン・アーサー・キング

 今からちょうど五十三年前の1963年8月23日、アメリカの人種差別に抗議したあの有名なワンシントン大行進のリーダー、キング牧師の言葉だ。
『I Have a Dream』(私には夢がある)
で始まるこの時のスピーチは、アメリカの公民権運動の流れを決定づけた。
大々的な五十周年記念行事も行われ、改めて日本でもニュースになった。

             ◇                   ◇

 政治を動かすのはもちろん一人の政治家の強烈な指導力によるところが大きい。だが、最後に物を言うのはやはり何と言っても国民の関心と、出来れば良識の集まりである。

 今、日本は、尖閣、竹島、北方領土など、国の主権にかかわる難題を抱え、一方で、原発、TPP、消費増税という将来の生活に直接かかわる大きな課題を前にしていながら国民議論どころか、その関心があまりにも薄いのが気にかかる。数年前なら国会でもマスコミでも連日侃々諤々やっていたはずだが、なぜか淀んだような静けさだ。あの民主党の政権奪取の昂揚感が一気にしぼんだせいなのか。その反動で高い支持率の安倍政権の前に、野党の足並みは乱れ有力な対抗勢力がない為だろうか。これは消して健全な政治の姿ではない。

             ◇                   ◇

 中央集権、官僚主導型政治構造の一部を変えるだけでも、消費税数%分の無駄がなくなると私は思っている。こんな大改革こそ国民の関心と指示がなくてはやり通せない。
福島原発の汚染水問題も、それをコントロール出来ているか否かに矮小化され、原発そのものへの議論はいつの間にか置き去りになっている。
政権の誰かは、きっと陰でほくそ笑んでいるに違いない。

 東京オリンピック開催もちょうど五十年前。七年後の開催は喜ばしいとしても、こちらだけに関心を集めている間に日本はどうなってしまうのか・・・。 心配である。

                               (平成25年10月)

古川 忠

「スモール・イズ・ビューティフル」シューマッハー(1911~1977)

 福島第一原発の過酷事故から一年半余り。政府の原発対策は未だ迷走を続けている。
民主党政権は「二〇三〇年代に原発ゼロ」を宣言してみせたが、閣議決定は避けるなど、どうも本気ではないらしい。「ゼロ宣言」の方が大衆受けするが、経済界の反発も怖いし・・・。要は「近いうち」の選挙に有利かどうかが本音というのだから、何とも情けない。

             ◇                   ◇

 原発を止めたらどうなるのか。日常生活は?、企業活動は?、一方で、この事故は、原発に対する安全技術の未熟さや、原子力ムラの不透明さなど数々の教訓を残した。
現実的な議論と対応は急務だが、福井県・大飯原発の拙速な再稼働は、いつの間にか、何もなかった様に元の原発依存型社会に戻るのではとの不安を懐かせる。この事故は、経済発展のみを前提とした今の社会でいいのかとの、もっと大きな命題を突きつけているのではないか。

             ◇                   ◇

 「スモール・イズ・・・」。経済膨張主義に対して警告を発したこの本は、七十三年のオイルショックで過度な石油依存に気付いた社会に、経済の発展と人間の幸福との関係について議論を巻き起こした。その後も経済は成長を続け、すっかり忘れてしまっていたのだが、福島原発事故で、あの警告を再び思い起こすことになった。幸福は経済の成長の上になり立つのか、いや理性的抑制こそ必要なのか。

             ◇                   ◇

 今度こそ、これからの人間の生き方、社会構造の有り方について覚悟を決めなくてはならないのではないか。
この覚悟さえ決まれば後は合理的に技術的に対処する知恵はある筈である。
『生きていくには三つのものがいる。ひとつは希望、ひとつは勇気、そしてもう一つはサム・マネー(いささかのお金)だ』。
 社会を鋭く洞察した喜劇王、チャップリンが映画ライムライトで語らせた言葉だ。
私たちは今、改めて味わうべきである。

                               (平成24年10月)

古川 忠

『ああ楽しかった。みたいに去る管氏』

 管さん(前総理)ファンの方には申し訳ない。が、政治的主張は賛同できても、どうしても好きになれない。あの大震災から七カ月余。未だ光が見えない被災者たちは、総理を辞めたあと、何故かスッキリした顔つきで四国お遍路をしている管さんを一体どんな思いで見ているのだろう。退陣表明後二カ月以上粘った総理のイスはなんだったのか。 新総理の苦しい答弁が続く国会審議をしり目に「犠牲者の供養も兼ねて」などもっともらしく言われると、失望は増すばかりだ。

             ◇                   ◇

 それでなくとも、この数十年間、日本の政治は様々のことを先送りにした上、誰もが責任を取らずにウヤムヤのまま過ごしてきた。配慮を欠いたつまらぬ失言でやむなく辞めさせられた官僚は何人もいたが、自ずから責任を取ってというサムライは皆無である。 沖縄の普天間移設問題を無責任に引っかき回した前々総理が恥かし気もなくテレビに出る今日。日本人の最大の美徳である恥の文化は、正にこれらリーダーによって崩されようとしている。

             ◇                   ◇

 家も職場も流された上、家族や友人を失い、さらに放射能汚染の恐怖にさらされながら、なお立ち上がろうとしている被災地の方たち。直接の支援を少しでも早く、十分に行う事はもちろんだが、政治が責任ある姿勢を示す事が大事ではないのか。ドジョウ内閣の野田新総理。 前二人とは心のあり様が違うように感じられるのは、かすかな救いか。言葉の重み。責任の二文字をしっかり懐にしのばせて頑張ってくれることを切に期待するのみである。

             ◇                   ◇

 ついでに、同日の毎日新聞に掲載された川柳二首もご紹介しておく。
「関心があるからこその無党派層」
「まだ何もしていないのに支持率アップ」
国民一人一人の目と力が試されている時かもしれない。

                               (平成23年10月)

古川 忠

卒 『原発』

 どんなに良いことをしゃべっても何故か胡散臭く聞こえてしまう人が世の中にはいるものである。 福島原発事故の対応が後半ゴテに回る中での管総理の「脱原発」発言。一国のリーダーの発言として非常に重く重要な発言が、これほどぞんざいに扱われてしまう異常さ。本人の覚悟や進退があいまいなままでは延命策かと底意をつい穿ちたくなるではないか。

             ◇                   ◇

  一方、その発言の軽さをあげつらうだけで、多分意識してと思うが、まともな原発論議を避けて通る議員たちのいい加減さ。 今もなお苦しみの淵にある被災者は勿論のこと、心ある国民はただ怒るかあきらめるしかないのであろうか。 原発の安全神話は間違いなくふっ飛んだ。人の営みだからたまには失敗はある。 しかしその失敗をリカバリーする術を持たぬまま、行け行けドンドンで進めてきたのが原子力発電だったのかと。 考えてみれば、次々に排出される使用済み燃料、いわゆる核廃棄物の処理方法でさえまだ確立されていないまま、地球のどこかにこれは留まるのみなのである。

             ◇                   ◇

 かと言って、現在稼働中の原発を一気に止めるのが現実的でないことは明らかである。原発依存を徐々に減らすにしても、目の前の原発のどこが本当に危険なのか、どこまでの安全策が可能なのか。 過疎の地域にまるで札束で頬を張るようにしてバラ撒いてきた税金の使い道は妥当だったのか。 リスクを含めたコストは?等など、情緒論ではなく理詰めの議論の先にこそ、現実的な解決が見えてくる筈なのである。 ああ、それにしても管さんに日本の将来がかかる「脱原発」を軽々しく言って欲しくなかったなあ・・・。

                               (平成23年7月)

古川 忠

この国のかたち

 先の世界大戦中、戦車隊に配属されていた作家司馬遼太郎さんは、戦争の末期、最新鋭車として配備された戦車の巨大砲頭がまるでブリキの様な代物であったことに愕然とする。 本来戦車は、砲弾をも弾く装甲板こそが命の兵器なのである。 やたら砲頭の大きい戦車で格好を整え、数だけ合せて「さあ突撃しろ」という軍中枢部に心底疑念を抱いたのである。『私は濃い草色に塗られた三式戦車の鉄を削りながら(こういうものを作らせた高級軍人たちは、いったい本気の愛国心を持っているのだろうか)と心の冷える感じをもった』と小品「戦車の壁の中で」で書いている。軍務官僚たちの保身のために、何十万もの日本兵のあらた命を散らせたのである。

             ◇                   ◇

 これは年金保険行政の杜撰さが表面化した三年前のコラムで紹介したのだが、今また書くはめになった。このほど明らかになった主婦年金のいいかげんな救済通達。年金保険庁の怠慢と主婦のうっかりミスによる支払い空白期間を支給するというもの。 膨大な公金が投じられるこの決定を課長通達でこっそり済まそうという魂胆。しかもミスター年金ともてはやされた前厚労省が主導していたというから何をかいわんや。 現大臣が全く知らなかったというあきれた落ちまでついては、開いた口が塞がらない。

             ◇                   ◇

 国民の血税をいったい何とおもっているのか。げに官僚の放漫さとその組織の感覚麻痺には、司馬さんならずとも驚愕する。軍務官僚があの大戦の犠牲を拡大したと同様、今高級官僚と国会が日本を停滞と凋落に導いている。  期待していた新政権はもはや官僚組織にとりこまれ、野党はただ不毛な追及を繰り返す。ころころ変わる日本の空き缶総理、などと管さん一人を責める徒労はやめて、みんなでこの国のかたちをもう一度真剣に考えるときである。

                                (平成23年3月)

古川 忠

地方主権へ大転換の時!!

 半島燃ゆ - 北朝鮮から韓国への突然の砲火。尖閣諸島沖中国漁船体当たり事件。ロシア大統領の北方領土電撃訪問。今年後半になって立て続けに重大な防衛、外交問題が勃発しました。日本の政治の混迷を見透かしたかのようです。 中国人船長を無罪釈放した責任はどこに?、ビデオ流出の犯人は?、確かに大事なことではありますが、本当に議論すべきは、中国やロシア、北朝鮮に日本がどう向き合うかです。 国会は、信念なき者同士の空疎な議論ばかりです。

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 内政に於いても、国の方針が一向に定まりせん。国の出先機関の撤廃など根本的解決はほとんど進みません。 国は外交・安保等の重要仕事に専念し、後はすべて地方に任せる。 中央集権から地方主権への思いきった改革が必要です。道州制への移行もその一つです。 その為にも地方議会の役割は益々重要になります。国の政党の仕組みをそのまま地方議会に持ち込んでいたのでは、地方主権は絵に描いた餅で終わります。 今、地方も大きな政治の転機を迎えようとしております。

             ◇                   ◇

 来年四月は、私共県議、市議の改選期です。地方から狼煙を上げるためにも、再度の挑戦を決意しております。 皆様の御理解と暖かいご支援を切にお願い致します。 昨年は、大変お世話になりました。改めて心からお礼申し上げます。 福岡県の為、地方主権実現に向かって懸命に頑張ってまいりますので、よろしくお願い申し上げます。

                                (平成22年12月)

古川 忠