主体性なき「参戦」 ―日本の国際貢献は何か― | 福岡県議会議員 古川忠後援会事務所 オフィシャルサイト

コラム

主体性なき「参戦」 ―日本の国際貢献は何か―

 アメリカの同時多発テロをきっかけに、日本の防衛や国際貢献が再び問われている。 国会では、『テロ新法』の制定や自衛隊法の改正など、ドロ縄式法案が、バタバタと通過した。しかしながら、二十一世紀この日本は、国際社会で一体どの様な国として有り続けたいのか、結局はウヤムヤのまま。「ショウ・ザ・フラッグ」の解釈はともかく、この重要な問題さえ、又々先送りになってしまった。 九一年の湾岸戦争の時「金だけ出して…」と、世界のひんしゅくを買ったことはまだ記憶に新しい。

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 「アメリカやイギリスの若者が家族や同胞の為に、敢えて危険に身をさらしている時に、日本だけが何もしなくても良いのか」というのは、大変辛い指弾である。かと言って、今回何か見える証をと、あわてて輸送機を一機パキスタンに「日帰り」で派遣したのも、おかしな具合である。まともに憲法議論、国防議論をしては野党はもちろん、与党内からも反発がある。マスコミの論調も気になる。といって世界の目も気にかかる。 結局はアメリカの顔色を窺いながら、今度こそは非難されない程度にやっておこう、というのがその本音ではないか。日本の主体性が感じられないのは実に寂しいかぎりである。

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 テロは古今東西あった。テロ的な手法で強者の横暴を倒し、正義を回復した歴史もあるから、これからもテロは有り続けるかもしれない。しかし今回のニューヨークのテロは許せない。善良なビジネスマン、夢を求めてアメリカに旅した若者ら、多くの命に対し、何の思いもないとは、正に狂気である。どんな理由があるにせよこれ程エスカレートしたテロとは、徹底的に対決する必要がある。ましてや、今回は、我々の同胞、数十人もの日本人が犠牲者。その馬鹿げたテロは日本国内でも十二分に起こり得る。これは、日本自身の問題である。国会論議、又、マスコミの風潮の中に、まるで他所ごとのような白々しさがあるのは、これこそ平和ボケである。

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 一方、問題を一層分かりにくくしたのは、テロへの対決と国際貢献とをゴチャ混ぜに論じたことにあるのではないか。憲法論議を避けるたけに、又も中途半端な国際協調に終わるとすれば、いっそのこと日本は難民救済や医療支援を徹底して行う。正に危険をかえりみず、ひたすら人道支援に進む道もあったのではないか。国際貢献とは、ODAに湯水のごとく金をバラ捲くことではない筈である。 テロ法案が通過したら、すぐに、政権争いが表面化。国の将来そっちのけの権力闘争が透けて見えだした。日本の将来は危うい。

                              (平成13年11月)

古川 忠

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