一人立つ富士の山 | 福岡県議会議員 古川忠後援会事務所 オフィシャルサイト

コラム

一人立つ富士の山

 何も偉い人の言葉ではなく、私が学生時代、自分で勝手に墨書して、部屋に貼っていた標語だ。今振り返ると、何とも青臭くて気恥づかしいのだが、思いは、何ごとにも動ぜず、自分の生き方を貫くことによって、多くの人を牽きつける裾野の広い人間になりたいと願ったものだ。勿論孤立を意味するのではない。孤高を保つことも又、雄々しい生き方では、と一人悦に入っていただけでのことである。

 ついでに私事で恐縮だが、この夏初めて、その憧れの富士山に登った。三,七七六㍍の頂に立って初心を新たにした次第である。

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 さてこの秋、降って湧いたような衆議院の解散総選挙が行われた。国会で議論が行き詰まった訳でもなく、消費税増税とてまだ一年半後。多くの国民は、何故今頃解散?と驚き、あきれたのではないか。安倍総理の働きを評価する方もあるだろうが、総理とその側近達の勝手な

〃ご都合解散〃と揶揄されたのも宣なる哉である。

 それでも選挙となれば、最も信頼できる候補を応援したのだが、突然の解散の狙いや動機に対する疑問は残った。結果は大山鳴動して何も変わらず。民進党の分裂と六三一億円もの選挙費用を費やしただけである。

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 政権を握る自民党議員の多くが疑問を持ちつつ、何の反応も示さずに安倍総理の一言にただつき従ったこと。希望の党発足と同時に、より当選し易い方へと右往左往した議員達。そして、強い所に群れたがる大人達の姿を朝から晩まで面白おかしく、垂れ流し続けたテレビ。これでは、十八歳まで引き下げられた若い有権者達は、何を判断して投票したらいいのか。

 焦点の人、小池東京都知事は、どの男よりも勇を奮って新党を立ち上げた。そこに縋っていって落選した後、候補者達が小池さんに恨み言をぶつけるのはただ見苦しい。彼達に投票した若い有権者も少なからずいるのだから、なお。

 小池さんの「排除」の一言で流れが変わったというのも確かにあるのかも知れぬ。「政治は言葉である」と言う。しかしそこに確固とした思想がなくては、人を動かす言葉は出て来ない。

真の言葉なき薄っぺらな政治が横行するのはどうしても気にかかる。

「何事も ありませんよと 富士はあり」。(毎日新聞コラム氏)

じっくりと腰を据えた政治を期待するのは、私だけだろうか。

古川 忠

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