さくらの下で、 | 福岡県議会議員 古川忠後援会事務所 オフィシャルサイト

コラム

さくらの下で、

 さくらの開花予想をめぐる記事の中で、寒さが厳しかった年ほど開花が早いことを初めて知った。  この冬は寒さのピークが比較的早かった為に、季節を早く勘違いしてしまったらしい。異常気象の深刻さに驚きながらも、葉をすべて落とし、まるで枯れ枝のようにみえた桜木が、厳しい寒さにひるむことなく密かに命をたぎらせていたことに妙に感動した。予想通り、さくらは見事に咲いた。そして哀れなほどに潔く散っていく。

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 `男児`かくありたいと思うものの、現実はなかなか難しい。だが最近は、さくらの潔さを美しいと感じない人もいるのではと、思い至った。例のホリエモン偽メール問題である。新聞社の取材現場にいたことのある立場から見ると、考えられないくらい幼稚な出来事である。報道や政治のもつ権力は想像以上に大きい。永田氏は、その責任と怖さをあまり感じたことはないようである。 名誉や特権は政治家の周りに有り余るほど在るけれども、背負わされた権力の重さの実感はなべて乏しいように思われる。

 偽メールを簡単に信じてしまったことは、おぼっちゃんの単純ミスとして百歩譲るとして、ネタ元の怪 しげなトップ屋を「私の最も信頼する友人」などと嘘をついたことに、死ぬほどの恥を感じないのだろうか。その後の申し開きも、なんとも情けない。国会は勿論のこと政治では特に重い響きを持つ同志への計り知れない迷惑を思うと、一度くらい自分が傷を負ってもと思わないのか、その心根が量りかねる。恥を忍んでという言葉もあるが、それは一片でも正義や信念が在る時に使うものである。

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 江戸期のリーダーであった武士は、恥を最も恐れて死んだ。普通の人ならそんなことで死ななくても、と思われることでも自ら命を絶った。現代から見ると馬鹿馬鹿しいという人も多かろう。だが恥や責任の為に死ねたからこそリーダーとしておれたのである。 さくらの下で酒を飲むだけでなく、その潔さに涙したいものである。特にリーダーたらんとする者は。

                               (平成18年4月)

古川 忠

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